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第8回仙台国際音楽コンクール

 

訪日外国人の入国制限や2月からのロシアによるウクライナ侵攻、震災から10年を超えて再び大きな地震にみまわれ…さまざまな困難が続く中、5月から仙台で第8回仙台国際音楽コンクールが開催されています。週末、ピアノ部門のセミファイナルと審査員によるマスタークラスを聴いてきました。数年前からコンクールの模様がライブ配信されるようになり、コロナ禍では動画やオンラインによる審査も増え、私自身そうした配信を聴く機会は多かったのですが、今回会場でコンクールを聴いてみて、配信と生で聴く音楽は全くの別物だと感じました。

 

仙台国際のセミファイナルは協奏曲審査、曲目もモーツァルトかベートーヴェンから選択、ということもあり奏者による音の響きの違いが全て露わになります。やっぱり古典は恐ろしい。

セミファイナル3日間のうち、2日目、3日目の審査を聴き、初日はモーツァルトのテンポの速さにやや耳と心がついていかず、調性感も転調の美しさももっとゆったり聴きたい感じがしたのですが、よくよく考えれば10代、20代のF1ドライバーのようなピアニストに馬車のような優雅なテンポを求めるほうが無理かも…と思い直し。

指揮者の高関さん、それぞれのテンポにしっかり合わせていて素晴らしいサポートぶりでした。翌日は自分が慣れたのか、実際テンポが違ったのか、あるいは席が変わったためかテンポについては違和感なく聴けました。モーツァルトは聴くたびに幸せになれるしベートーヴェンの初期の作品はエネルギーに満ちていて、もう何人聴いても永遠に飽きることはないのでした。

 

協奏曲の審査ではソロ以上にピアノの音がオーケストラに埋もれてたり、叩いてしまって響きがやせたりが致命的な弱点になってしまいます。その原因は見たところ手首の使い方(位置)や打鍵の方向、深さ、掌の支えといった日ごろから御木本メソッドで繰り返し指摘されていることばかり。

学生時代、御木本先生が「国際コンクールを聴きに行った人は皆、トレーニング必要だ、もっとやっておけばよかったって言いますよ。」とおっしゃっていた意味、御木本メソッドアカデミーの先生方がトレーニングデータがある程度以上そろってくると国際コンクールのファイナルに残ってくる、と言われている意味がやっとやっと理解できました。

 

セミファイナルの審査の翌日は審査員のピアニストによるマスタークラス。

11:00の開始時刻には100名近い聴講者が集まっていました。

ミシェル・ベロフ先生の寸分の妥協もない理想の音へのこだわり…ご本人にとってはそうであることが当然、こだわりなんて薄っぺらい言葉使うな、でしょうけれど…、ペダルの細かい指示や左手の扱いはG・ムニエ先生のレッスンを思い出します。モーツァルトのソナタでのアレグレットのテンポ設定は難しい、のくだりは興味深かったです。繰り返し「指先は発音、手首はフレージングを担う」とおっしゃり、これは前日のセミファイナルの演奏で自分が感じたことに通じるかと思います。

マティアス・キルシュネライト先生のシューベルトのレッスンは先生の音楽への愛が溢れんばかりだし、自分が学生の頃から日本人留学生に大人気だったジャック・ルヴィエ先生のレッスンは噂にたがわぬ素晴らしいものでした。ラヴェルでのペダリングのアイディア、音域ごとにどのような音色(楽器)を当てはめるか、そして何度聴いてもいまいち理解できなかったシマノフスキの変奏曲がこんなに美しい曲だったとは…。

 

トータル7時間ほど聴き続けて外に出るとまだ明るくてびっくりの夏至前日、たくさんのお土産を耳と頭に詰め込んで、さらに仙台駅でお目当てのかまぼこと萩の月を車内のおやつ用に買ってホクホク気分で帰宅しました。

 

コンクールは木曜日からファイナル審査、最後まで無事に開催されますように、さらに昨年中止になった浜松国際や、今春から1年延期になった高松国際も無事に開催されますように。